'24 大谷山 滝谷山(398.1m) - 早春本番、古墳の里と山稜の砦跡をゆく -

 春本番、揖斐郡大野町北端の連山を歩く。先年(2013)歩いたときと同じように考えていたが入山前に調べておいた古墳群を見学したのがたたり、また古墳コースの尾根登りが意外にも時がかかり、大谷山滝谷山の二山で下りてきました。
 大野町バスセンターから北の運動公園へ歩く。西に池田山、小島山が屏風のように立ち、これから登る低い連山を睥睨しているようだ。その前にこの地で幾多に発掘された野古墳群を見てまわります。現在九基が残存しなかでも巨大な前方後円墳の西屋敷古墳と帆立貝形のモタレ古墳が特に目を惹いた。
 その後方の古墳コースから入山する。竹林のなか獣除けの柵がかかっています。外し直ぐ掘割の尾根道へ上がる。以降山稜まで100m間隔で案内標柱が立ち整備のほどが伺われる。途中道が分かれている処もあるが稜線で合わさっていました。
標高150mの小さなピークで東方を望む展望地では中央アルプスから恵那山、そして岐阜市のビル群まで望めた。稜線上に上がるまで案外な時間がかかりこれは予想外でした。
 西へ少し行った木のもとに三角点が、野村山との名称板も架かっていた。稜線を北東へ進み野村坂(立花峠)へ、その手前に押ヶ谷とりで跡の東屋でひと休止、百々ヶ峰から金華山への眺めが大変よろしい。峠は広い地で運動公園からのハイク者で賑わう処です。大谷山へ疎林を上がるこならコースで登るが名のとおり小楢が良く目立つ。
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九基古墳群(5世紀後半から6世紀初頭)‐昭和32年に国指定史跡に登録

1野古墳群跡
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見晴らし場から大野町一望

2大谷山
< 交通アクセス >
電車(往復)名鉄岩倉駅 ←→(60分)新岐阜駅680円
バス名鉄岐阜駅 ←→(55分)大野バスセンター600円
<コ−スタイム > 歩行時間:4時間40分
shose大野バス停→(25分)古墳コース口→(70分)野村山(228.9m)→(10分)押ヶ谷とりで跡・立花峠→(35分)大谷山(356m)→(45分)滝谷山(398.1m)→(40分)滝まわりコース口→(15分)金尾滝公園→(40分)大野バス停

yubi史跡野古墳群とは
大野町野集落西方に、5世紀後半から6世紀初頭(今からおよそ1500年前)にかけて造営された古墳群。
昭和32年国指定史跡

-古墳コースから大谷山、滝谷山へ-
落ち葉が積もった急坂を下り道標で雁又山への往復を見送る。気を引締め道を確かめ、大岩脇をぬけ谷沿いを急降下、狭い谷川の岩を飛びつつとても散策路とは呼べない小径をたどる。谷筋に下りないこと。鉄板の橋をわたり林道に降りた。散策路以外歩かないようにと大野町が注意する警告板もあながち無理ない。林道をぬけると伐採したばかりな跡地に出た。金尾滝公園の看板も新しい。もう時計の針は予定をはるかにすぎ獣除け柵も通り抜け民家がみえた時はすでに4時をまわり、桜が植えられた三水川土手を急ぎ足で駆ける。町役場まえのバス停にはバスがそろそろと入ってきて辛うじて間に合いました。

2013年1月 牛洞から大谷山 滝谷山 雁又山
 上がったハナに城ヶ峰と妙法ヶ岳が望め白く輝いているのは小津権現山でしょう。階段状の登りがだんだんと足に応える。
山上に野村城跡の案内板が立ち古来の砦跡との説明、展望台からうなずかれんばかりな見晴らしが開け、空身で登ってきたハイクらが歓声を揚げる。ここで遅い中食をとる。
 次の滝谷山へ城趾散策コースをゆく。標高差140mばかり稜線歩きで半ばに木ベンチの休み所もあり時間が許せばゆくり歩きを楽しみたいところです。三等三角点が埋められた滝谷山に着いたのが予定より遅れ二時をとっくに過ぎていた。
 下山は滝まわりコースでゆく。なぜか下り口にロープが張られ、「ヒルがいっぱいいる」との脅し文句のプレートが垂れていた。確かに初夏ともなればそのその恐れも無きにしも非ず。


- 3月11日 /2024年
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