'24 黍生山・城山
(374.5m 353m) - 奥三河、三州街道宿場町の古代山城跡を再訪 -
足助の春を迎える雛祭りに興趣をおぼえ
黍生山
を訪れた。
先回は下山後山田舎の暮らしを再現した三州足助屋敷から飯盛山遊歩道へもまわった。黍生山登山はひと回りしても二時間ほどの歩行です。東岡崎駅から名鉄バス足助線に乗り登山口の追分で降りたのはもうお昼前でした。
某接骨院方から山へはいり竹林のなか掘割道を上がり小さな谷沿いの細道を伝ってゆく。下ってきたひとりのトレイルランナーとすれ違う。古い木橋をわたりロープが垂れる斜度のある坂を上がれば作業道に出る。山頂へは左右に西口と東口の上り口がある。左の西口から上がる。明るい芽吹き近い木々の道を進みほどなく植樹記念(2013年)の杭が立つ岩の見晴らし場があらわれ、その上が山頂広場です。足助氏の始祖が築いたと伝わる城趾でもあります。説明板有り。寒暖計は5度でした。
地理的にみてもここは愛知の山の真ん中に位置しよう高台で遥か名古屋方面から猿投山、三国山の県境の山々がならび出来山、寧比曽岳そして炮烙山、六所山に松平郷へと三河の低山が織りなしている。北に一際高く白い霊峰が突出し右にこれまた銀嶺の中央アルプス群峰と鞍のような恵那山とも対顔し得た。
電車、バスを乗り継ぎ、えんやこらと訪れた対価に相応しい眺望が得られ、こころも懐も満足に浸った。
-香嵐渓にて、山頂から奥三河の山々が見渡せます-
2007年12月 黍生山
-豊田 おいでんバスは西三河の重要な足です-
名鉄三河線 猿投駅
<
交通アクセス
>
(往)名鉄岩倉駅 →(55分)東岡崎駅
(返)名鉄猿投駅 →知立 →(85分)岩倉駅
900円
1100円
(往)東岡崎駅AM10:15 →(60分)足助追分
(返)足助追分PM15:45 →(33分)猿投駅
880円
400円
<コ−スタイム >
歩行時間:3時間40分
足助追分バス停→(10分)西登山口→(45分)作業道出合→(25分)黍生山(374.5m)→(30分)作業道近岡分岐→(15分)作業小屋→(20分)城山(353m)→(60分)東登山口→(15分)追分バス停
2007年12月 黍生・飯盛山
- 黍生山・城山 -
近岡の黍生東登山口には木杖が数本備えられていた。ちょうどご婦人がふたり下山して来られた。1時間弱の余裕があったが、雛祭り人形が飾られた足助川沿いの中馬街道民家へと向かえば帰りのバスは日没間際になるので諦めることに。帰りは豊田市が運営する
おいでんバス
に便乗し、猿投山、廃線となった旧名鉄三河線(昭和2年から平成16年)廃線駅舎が残る広瀬を車窓に、現三河線終着駅猿投で乗換え、知立経由で帰った。時間はたいして変わらず、豊田市から地下鉄利用だともっとかかるだろう。
下山は東口に降り近岡の東登山口へ下るつもりでしたが、近岡まで
30
分です、前から気になっていた東隣りの
城山
へ向かうことにした。作業道を下りついで近岡への道を右に見送りさらに作業道を進む。落ち葉が深く積もり枝や倒木もあちこちでもう車は通れないでしょう。頭上の送電線をすぎ着いたさきに作業小屋が建っていた。「進入禁止」の看板を気にしつつ奥の山肌に取り付く。歩いて見える様子もあり眼の前の尾根目がけて遠回りしながら尾根に上がる。疎林な尾根であり山上に出て古いテープに導かれ「城山」と記された木板を見つけるが展望も何もありません。
下る尾根を見つけようとするが自信がない。バスの時刻もありさっさと諦め元の尾根を返し小屋へと戻った。国道へはくねった長い作業道を延々と下ります。崩れた道にヒヤヒヤし通行止めのフェンス板を後に足を急がせます。
- 2月11日 /2024年
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