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林道を横切りさらに上った稜線を右へ曲り(標識有り)、やや深くなった雪道を踏みしめつつ残された自然林の中を進む。木々越しに北方面が垣間見られるが、今日の空模様では近隣の里山が望めるだけ。 曽木や鶴岡からの案内板が並ぶ分岐地から山頂へはわずかの歩みです。リュックを降ろした時、ちょうど正午を知らせる麓からの音楽が聞こえてきた。三角点のそば、「鶴岡山・曽良山 山頂」と大書した立板が新しい。廻りが立ち木に囲まれ、南西のみ木々越しに電波塔が林立する三国山と猿投山が望めれました。 分岐までもどり返りは正福寺等への道をとる。こちらの雪道にはうさぎの肢跡が点々と飛んでいました。双子岩をすぎると雪も消え明るい自然林のなか滑りやすい落ち葉の上を下って行きます。小さな高みを越すと道は二手に分かれています。細野城址への道を下りるが、師岩までわずかですので正福寺への道を下る。 師岩は平ぺったい四畳半ほどの大岩で廻りの立ち木を切ったためすこぶる見晴らしが良い。『弘法大師が三河より鶴岡山を通り、この岩より柿野字窓屋の赤児岩まで、一足飛びに渡ったと伝えられている』岩にはその足跡が七ヵ所残されてあるとも。岩上は滑りやすく危なっかしい。晴れていればそんな伝承も肯かれようか。 先の二手に戻りしごく急坂な、はっきりした尾根を下る。『搦手曲輪』『喰違虎口』とつづき平地な『細野城址』に降りる。説明文によれば、築城は小牧・長久手の戦いか関ヶ原の合戦時と想像されるが資料に乏しいとか。恒常的な城ではなく臨時的な城ではと結んでいる。
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