COLUMNS夏ざっと 飛騨のかたりべ ぬい女物語 - 2021/7/23 -
 夏ざっと
 この節は、赤ん坊が生まれるとすぐ目薬をさすから、盲はのうなってしまったが、昔は、ざっと(座頭)というて、三味線をかかえて歌をうたって、乞食して歩くものが廻り返って来たもんじゃ。
 およし乞食といって、夫婦げんかをして歩く妙な乞食がおって、おたがいに「殺いてくれるに」なんぞと口ぎたないけんかをしながら、結構連れたって歩いておったし、そうかと思うと、でかい犬を連れた乞食もおった。そして女の盲は瞽女(ごぜ)と云った。
 昔、ある夏ざっとが旅しておったら、うわばみがあらわれて、ざっとを丸呑みにしてしまったそうな。そしたら、ざっとめがうわばみの腹のなかで、(よわったことになったが、あわてたところでしようもない。弁当でも使わず)と思って、背中においねた弁当を広げたそうな。そこで、菜入れの煮豆をば、うわばみの腹のなかじゅうに噛んでやひっつけ、噛んでやひっつけた。
 ようのこそ、うわばみが腹痛をおこして、大腹下だしをしたので、ざっともおかげでしゃばへ出ることができたそうな。そこでうわばみの云うことにゃ、
「いくらひもじゅうても、夏ざっとだけはつつしまにゃならん。」


COLUMNS慶喜さま 飛騨のかたりべ ぬい女物語 - 2021/7/13 -
 慶喜さま
 天下をおさめてござった将軍さまも、御維新になって、何もかも天子様にさし出いて、命だけを助けてもらわっしゃった。
 ご家来衆も、風呂屋になったり、皮屋になったり、おかみさんは他人の針仕事をしたり、羽二重の置きぐらしは雑巾にもならぬということのたとえのとうり、全く路頭に迷って身売りする娘さんもぎょうさんあったそうな。
 そんなときに、慶喜さまが高山へしのんで来てござると噂があった。なんでも某家の奥座敷に泊まってござさって、町の旦那衆が"書"をお願いさっしゃるとのことじゃった。
 万事、次の間に控えておるお供の者が取次するので、慶喜さまのお顔はめったに拝めんなんだが、立派な男前で、紋付きで座ってござさっしゃったそうな。
 ところが、あとになって偽物じゃったとかで、書きものをした者も、筆が立つ者が一人おって陰で書いていたので、ただのよい男を慶喜さまに仕立てて、連れて歩いていたということじゃ。

 ※飛騨のかたりべぬい女物語 については、コラム2014年
  日和田の杣ケ池伝説参照



COLUMNS新緑の兀岳・夏焼山 - 2021/5/20 -
2012年5月中 木曽南木曽の兀岳をゆく




COLUMNS春の三国山 - 2021/4/27 -
2015年3月末 尾張、美濃、三河の三国にまたがる展望抜群な山を"歩く"




COLUMNSHP運営23年目 - 2021/4/5 -
 この月でHP運営が23年目にはいります。”思えば遠くへ来たもんだ!”なんてセリフが口に出てきます。
 わたしの山行きは東海地方の里山に限定しているので、そろそろ新規に登る山が少なくなりました。しかもここ十数年前からハイカー登山を敬遠するようになり、ますます遠くの山へ出かけなくなった。昨年から三重の山へ訪れるようになった。でも鈴鹿の主要な山へは足が向かない。20代から30代にかけて鈴鹿の主要な峰々へ登りましたが。もちろんたいていは自家用車で出かけていました。昨今では前衛の山ならまだしも高峰となると車登山しか日帰りは難しいです。バスもほとんどがコミュニティーバスとなり山歩きには乗れません。かえって鈴鹿の主要な山々を避けた里山のほうがアクセスがあるなんて逆転が起きます。岐阜加茂郡白川方面もバスが運行停止の憂き目になり、考えていたような山行ができなくなった。
 まあ、年相応の山行きにしなさいとの上の方から声が聞こえてきそうです。

COLUMNS春の小谷山 - 2021/3/30 -
2015年 滋賀県長浜市湖北町伊部 浅井氏三代の居城の跡をゆく


隣の虎御前山もあわせて登れば興が深いです。


yubi山のコラム目次です。
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