COLUMNS天空遊歩道をゆく  岐阜県飛騨萩原から飛騨一ノ宮 - 2018/6/7 再編-
2010年8月、川上岳から位山へ稜線を歩く。
川上岳登山口の上之田から旧位山スキー場まで8時間余りの山行です。


<一 言>
上之田にはタクシーはありません。5キロの林道歩きをためらうなら飛騨萩原駅から乗るほかありません。
料金は6,000円をかるく超えます。タクシーで入山するなら久々野からツメタ林道を上がったほうが時間、経費とも得策かと。単独で晩秋の日が短い時期なら後者でしょう。
※訂正※ 画像で宮村からの登山道をダナ林道と記しましたが、ツメタ林道の間違いです。



天空遊歩道をゆく  HD


COLUMNSむかし話「関の太郎-『美濃と飛騨のむかし話』岐阜県小中学校長・編より
 - 2018 /6/16 -

 800年ほど前、鬼岩の岩穴に住みつき、乱暴狼藉を極めた「関の太郎」という鬼がいました。 地頭・纐纈源吾盛康が市で鬼を捕らえ、首をはね、その首を桶に入れて京へ運ぶ途中、急に動かなくなったため埋めた場所が、この「鬼の首塚」と伝えられている。 一説では、後白河法皇の命により派遣された兵士により討伐されたという。

 むかし、可児川の上流の上之郷(※1)というところの岩穴に関の太郎とよばれたオニが住んでおった。太郎は夜中など麓の女やこどもをさらったりしたおそろしいオニだった。身の丈七尺(※2)もあり、今まで退治しようと幾人かのわかもの出かけていたが、だれひとり帰ってきたものがなく、もう出かけようとする者ものうなってしまった。
 そのうちに可児薬師様の祭りが近づいていた。オニが出るからといって、祭りをやらんわけにもいかんから村人らは困ってしもうた。オニは昨年の祭りの夜に村におりてきたとなしつたわるにつれ、今年も来るだろうと村人らは口々にいうのだった。でもオニの太郎はあたりまえのすがたで出てくるわけでなく、うわさするだけでだれも太郎をみたものはいなかった。
 「なんとか太郎をみつけんかんこうはないものかのう。」村人らは祭りのまわしに集まるたびにそういうのだった。そのうち祭りどうろうに絵を描いておったある男があやまって、すずりの中にべったりと手をついてしまった。男はその手をしばらく見つめていたが、「そうじゃ、これならええ。」とひざをたたいた。
お参りする村の者がみんな手に墨をぬっっておけば、太郎との見分けがすぐつくというもんだ。
「そうじゃ、ええ思いつきじゃ。」と村人らにふれまわった。
 そして祭りの日がきた。村人らは男も女も、老いも若きも、手に墨をぬって家を出た。おたがい顔を、いや手を見せ合いながら祭りを楽しんでいると、夜もふけたころ手に墨をぬっておらん太郎を見つけた。あばれだされでもしたらどうもならんとばかり、知らんふりしてとびっきり強い酒をどんどんふるまってやった。

 ぶっつづけに酒をふるまわれた太郎はとうとう赤い顔がますますまっ赤になるほど酔っぱらってしまい、道端に寝ころんでしもうた。これさいわいとばかり村人らはいっせいにうってかかり、太郎が目をさます前に、首を切ってしもうた。さすがの太郎ももうどうすることもできなんだ。
 太郎の首はめずらしいとばかり都へおくられることになった。首を入れたおけをかついだ村人らが都への街道へ出ようとしようとしたとき、首のおけが急に重うなり、もう進めんとばかりそのおけを下ろしてしまった。そしてそのままなんど持ちあげようとしても動かんようになつてしもうた。
 ふしぎに思って、おけのふたをあけてみると、首だけの太郎はまるで生きているかのように、かっと目を開いて人々らをにらんでいた。きみがわるくなった村人らは、そばに穴をほって、そのおけのまま、太郎の首をうめてしまった。オニの太郎はこの土地をはなれとうなかったのであろうか。
 今でも太郎の首を埋めた首塚は御嵩町の街道わきに残っている。

 ※1いまの御嵩町の東半分の地。
 ※2約二・一メートル
首塚

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