800年ほど前、鬼岩の岩穴に住みつき、乱暴狼藉を極めた「関の太郎」という鬼がいました。 地頭・纐纈源吾盛康が市で鬼を捕らえ、首をはね、その首を桶に入れて京へ運ぶ途中、急に動かなくなったため埋めた場所が、この「鬼の首塚」と伝えられている。
一説では、後白河法皇の命により派遣された兵士により討伐されたという。
むかし、可児川の上流の上之郷(※1)というところの岩穴に関の太郎とよばれたオニが住んでおった。太郎は夜中など麓の女やこどもをさらったりしたおそろしいオニだった。身の丈七尺(※2)もあり、今まで退治しようと幾人かのわかもの出かけていたが、だれひとり帰ってきたものがなく、もう出かけようとする者ものうなってしまった。 そのうちに可児薬師様の祭りが近づいていた。オニが出るからといって、祭りをやらんわけにもいかんから村人らは困ってしもうた。オニは昨年の祭りの夜に村におりてきたとなしつたわるにつれ、今年も来るだろうと村人らは口々にいうのだった。でもオニの太郎はあたりまえのすがたで出てくるわけでなく、うわさするだけでだれも太郎をみたものはいなかった。
「なんとか太郎をみつけんかんこうはないものかのう。」村人らは祭りのまわしに集まるたびにそういうのだった。そのうち祭りどうろうに絵を描いておったある男があやまって、すずりの中にべったりと手をついてしまった。男はその手をしばらく見つめていたが、「そうじゃ、これならええ。」とひざをたたいた。 お参りする村の者がみんな手に墨をぬっっておけば、太郎との見分けがすぐつくというもんだ。 「そうじゃ、ええ思いつきじゃ。」と村人らにふれまわった。 そして祭りの日がきた。村人らは男も女も、老いも若きも、手に墨をぬって家を出た。おたがい顔を、いや手を見せ合いながら祭りを楽しんでいると、夜もふけたころ手に墨をぬっておらん太郎を見つけた。あばれだされでもしたらどうもならんとばかり、知らんふりしてとびっきり強い酒をどんどんふるまってやった。
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