COLUMNS加子母の夏 岐阜県中津川市 - 2015 /7/15 -
加子母大杉地蔵尊 5月末日加子母を訪れました。ランプの宿がある度合いの森を探訪する予定でした。付知から度合キャンプ場まで車で走ろうとしましたが、付知峡不動滝への分岐をすぎたあたりから道が悪くなり、こちらの車高の低い車ではちと不安に襲われ、キャンプ場までの往復なら歩いてもいいのですが、その先を計画していた由、山行きを断念しました。折畳みバイクを積んでいたならと残念の思いで・・。
 度合へは次の機会とあきらめ加子母大杉地蔵尊周辺をブラつき半日すごした様子をアップします。なお奇祭なめくじ祭りは旧暦7月9日、今年は8月22日(土)です。
 加子母から度合ヘ上がる御嶽登拝道がすっかり整備され、『ふるさとの自然と歴史を歩く』と銘打った里山歩きも催されているようです。

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岐阜県名水 乳子の池(加子母十景)
ずっとむかし、この池の近くに住んでいた女がある夜赤子の泣き声を聞き池に来てみると赤子が捨てられていた。抱きあげてみても女は乳がでないので地蔵尊にお願いしたところ、”池の清水を与えて育てなさい”とお告げがあった。女は喜んで毎日この清水を飲ませ育て、その子は丈夫に育ち孝養を尽くしたという。その話が世に伝わりいつの日かこの池を”乳子の池”と呼ばれるようになった。
「昭和61年指定」

2003/9月の御嶽登拝道・高時山登山


COLUMNS冬の鳩吹山麓、大脇湊 - 2015 /1/17 -
大脇湊 真冬の某日、犬山木曽川左岸、鳩吹山麓の大脇湊を訪れた。三月下旬のカタクリの開花時季なら大勢の見物者でにぎやかですが、今は訪れる者は鳩吹山に登る登山者をちらほら見るだけで、落ちついた雰囲気を抱かせてくれる。大正の時期まで続いたという氷場や舟の積み出し場の「大脇湊(おおわきみなと)」あたりを逍遥するのもおもしろいでしょう。もっとも近年お隣にできた猥雑な浴場施設とそれを取りまく広い駐車場により時代の趨勢に襲われることは必至でしょうが。
 またここ日本ラインと名づけたのは大正二年、地理学者の志賀重昂(しがしげたか)氏で、美濃加茂市太田町の祐泉寺境内に墓碑が建てられています。


氷場・石垣について』
この長方形志賀の石垣は「氷場」と呼ばれて、大正時代にはここで氷をつくっていました。
12月になると谷川の水を入れ、池いっぱいに氷が張ると「寒のうち」(1月中旬から2月の初め)に一尺二寸(約40センチ)角で、一枚が四貫目(15kg)の板状にノコギリで切り取って、これを4枚づつ積み重ねて二人一組で船着き場まで運び、舟で対岸の坂祝にある倉庫でおがくずなどを詰め、保存しました。
そこから舟に乗せて一宮、笠松へ運び、名古屋、岐阜へ運ばれました。
しかし大正末期頃からは機械で氷がつくられるようになり、氷場は使われなくなりました。
可児市
-案内板より転載-      

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