冬の鳩吹山麓、大脇湊 - 2015 /1/17 -
真冬の某日、犬山木曽川左岸、鳩吹山麓の大脇湊を訪れた。三月下旬のカタクリの開花時季なら大勢の見物者でにぎやかですが、今は訪れる者は鳩吹山に登る登山者をちらほら見るだけで、落ちついた雰囲気を抱かせてくれる。大正の時期まで続いたという氷場や舟の積み出し場の「大脇湊(おおわきみなと)」あたりを逍遥するのもおもしろいでしょう。もっとも近年お隣にできた猥雑な浴場施設とそれを取りまく広い駐車場により時代の趨勢に襲われることは必至でしょうが。 またここ日本ラインと名づけたのは大正二年、地理学者の志賀重昂(しがしげたか)氏で、美濃加茂市太田町の祐泉寺境内に墓碑が建てられています。
『氷場・石垣について』 この長方形志賀の石垣は「氷場」と呼ばれて、大正時代にはここで氷をつくっていました。 12月になると谷川の水を入れ、池いっぱいに氷が張ると「寒のうち」(1月中旬から2月の初め)に一尺二寸(約40センチ)角で、一枚が四貫目(15kg)の板状にノコギリで切り取って、これを4枚づつ積み重ねて二人一組で船着き場まで運び、舟で対岸の坂祝にある倉庫でおがくずなどを詰め、保存しました。 そこから舟に乗せて一宮、笠松へ運び、名古屋、岐阜へ運ばれました。 しかし大正末期頃からは機械で氷がつくられるようになり、氷場は使われなくなりました。
可児市 |
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-案内板より転載-
鳩吹山麓、大脇湊と氷場スライド(←クリックしてください)
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