阿多野の奥に日和田という村に、小三郎という杣がおったそうな。
或る日、いつものように山仕事に行き割蓋弁当を谷川にふやかいておいたところ、なんと中にでかい岩魚が入っておったそうな。これはうまいもんとばかり焼いて食べたそうな。ところが喉がかわいて水をいくら飲んでも足りなくて、しまいには谷川へ口をつけて飲み始めるしまつ。そして連れの杣まで飲んでしまいそうになるのを気づかい、連れを山から下りてくれるよう頼んだそうな。
連れの杣は慌てて山を下りたが、たちまち大きな池ができて、小三郎は大蛇となってその池へ沈んでいったそうな。
日和田には源助という馬大尽があって、御嶽のふもとにたくさんの馬を持って栄えた家があった。その家にどこから来たとも知れぬ、ちんまという女中がおったそうな。ちんまは、何をさせてもまちょうな女で、大家族のかしき(炊事)をしておったが、或る日、源助が外風呂に入ってござったら、にわかに大夕立ちがやってきて、どうしょうとあわてておるところへ、ちんまがきて風呂桶のまんま主人を軒下までかかえこんだそうな。そんな源助のだいじな女中じゃったが、小三郎が山の池で大蛇になった日から姿を消してしまった。
村の衆は、「ちんまもや、山の池へ大蛇になっていってしまったのじゃ。小三郎と夫婦になったのじゃ。」と云うようになった。そして山の池を、杣ケ池、小三郎の池ともいうし、また、ちんまが池ともいうが、何でもその池はひょうたん形をしておるそうな。
村の衆がお盆に、小三郎のために酒樽を池へ投げ込んだところが、小三郎は中の酒を飲んで、空にして浮かしたそうな。また、ちんまのために白粉瓶を投げ込んだだら、これもまた中身を使って空瓶を浮かしたそうな。
(※原注 原家とは、江戸時代から大正にかけてこの日和田で馬大尽として名をはせた豪農のことで、すでに崩壊寸前の荒れもようである。一時は、数百頭の馬を放し飼いにして、馬小作として村人にめんどうをみさせ、木曽福島や久々野村の馬市に出し、栄えた。)