COLUMNS御嶽の大噴火 - 2014 /10/9 -

9月27日(土曜)午前11時53分頃、御嶽山が噴火した。
有史以降最も活発な活動は1979年(昭和54年)に始まり、その時は比較的小量な火山灰を噴出しただけで数日後でその噴出は収まった。山頂南面の地獄谷上部の水蒸気噴出はそれ以来から続いていた。そして1984年(昭和59年)9月14日に起きた長野県西部地震により御嶽山南斜面で大規模な山体崩壊が発生したのは記憶にあたらしい。
わたしはその西部地震による御嶽山地獄谷大崩壊の数年前の春、四月初旬に田ノ原から王滝頂上まで登りましたが、地獄谷から吹き上げる水煙とあたりの雪面が薄い黄緑に化していたことを憶えている。以降、小規模な噴火が起きていたことは承知していて、御嶽が死火山とは思わなかった。よもやこれほどの大噴火が起きようとは予想だにしなかった。
30年、40年なぞ自然においては時計の針が一回りするほどの時にすぎないのだ。
御嶽山も浅間山と同じ推移をたどるのだろうか。

  • 噴煙上げる御嶽、日没前
       うぬまの森・陰平山山頂下より望む -クリックでズーム、日没前の御嶽 10/7-

COLUMNS御嶽北山麓、日和田の杣ケ池伝説 - 2014 /2/2 -

御嶽北山麓に位置する日和田高原からながめる御嶽はほぼ円錐型の美しい姿を見せている。
その高原のほぼ真ん中に、雑木林に囲まれ周囲が約1kmのひょうたん形をしている杣ケ池(別名・小三郎池)、その右700mに水溜りのようなちんまが池あります。このふたつの溶岩池にはご多分にもれず以下の伝説があります。


  『杣ケ池にある説明板 -これは某サイトからDLさせていただきました。』


ぬい女物語
昨年秋はじめ、ネットで興味ある本を見つけ手に入れました。
飛騨のかたりべ ぬい女物語」『昭和46年刊』(P202) (右上写真)
著者は小鷹ふさ(大正元年高山市生)、内容は著者の夫の祖母で高山で生まれ幕末から昭和のはじめまで九十二という齢まで生きた、老婆ぬいから聞いたむかし語りと祖母の一人生のお話しです。
彼女の生きた時代の歴史と世相が簡潔な文章で綴られています。この著書の第四部 ぬい女昔噺のなかのひとつに[杣ケ池]が載っていました。(この本の他の内容についてはまた後日紹介したいと思います。)上記の伝説と同じ噺ですが、語りがおもしろいのでその噺をほぼ全文、載せてみます。


 阿多野の奥に日和田という村に、小三郎という杣がおったそうな。
或る日、いつものように山仕事に行き割蓋弁当を谷川にふやかいておいたところ、なんと中にでかい岩魚が入っておったそうな。これはうまいもんとばかり焼いて食べたそうな。ところが喉がかわいて水をいくら飲んでも足りなくて、しまいには谷川へ口をつけて飲み始めるしまつ。そして連れの杣まで飲んでしまいそうになるのを気づかい、連れを山から下りてくれるよう頼んだそうな。
 連れの杣は慌てて山を下りたが、たちまち大きな池ができて、小三郎は大蛇となってその池へ沈んでいったそうな。
 日和田には源助という馬大尽があって、御嶽のふもとにたくさんの馬を持って栄えた家があった。その家にどこから来たとも知れぬ、ちんまという女中がおったそうな。ちんまは、何をさせてもまちょうな女で、大家族のかしき(炊事)をしておったが、或る日、源助が外風呂に入ってござったら、にわかに大夕立ちがやってきて、どうしょうとあわてておるところへ、ちんまがきて風呂桶のまんま主人を軒下までかかえこんだそうな。そんな源助のだいじな女中じゃったが、小三郎が山の池で大蛇になった日から姿を消してしまった。
 村の衆は、「ちんまもや、山の池へ大蛇になっていってしまったのじゃ。小三郎と夫婦になったのじゃ。」と云うようになった。そして山の池を、杣ケ池、小三郎の池ともいうし、また、ちんまが池ともいうが、何でもその池はひょうたん形をしておるそうな。
 村の衆がお盆に、小三郎のために酒樽を池へ投げ込んだところが、小三郎は中の酒を飲んで、空にして浮かしたそうな。また、ちんまのために白粉瓶を投げ込んだだら、これもまた中身を使って空瓶を浮かしたそうな。


(※原注 原家とは、江戸時代から大正にかけてこの日和田で馬大尽として名をはせた豪農のことで、すでに崩壊寸前の荒れもようである。一時は、数百頭の馬を放し飼いにして、馬小作として村人にめんどうをみさせ、木曽福島や久々野村の馬市に出し、栄えた。)



COLUMNS初夏の八曽自然休養林 - 2014 /5/11 -

八曽の滝
         -八曽の滝-

bus名鉄犬山駅 → リトルワールド 運賃:490円
明治村   → 名鉄犬山駅   運賃:420円
walkリトルワールドから明治村まで、歩行時間:約5時間

slide八曽自然休養林スライド(←クリックしてください)
初夏をおもわす休日、八曽自然休養林へ出かける。
名鉄犬山駅東出口バス乗場でリトルワールド行きに乗る。
リトルワールド玄関で下車、ひとつ前の四ッ屋までニキロ歩き戻り、「開拓パイロット1.9km」の標識を見て林道に入る。鎖が掛けられた道ゆえ以降車はシャットアウト。東海自然歩道、入鹿池から善師野駅への案内板もある。
新緑の木々のなか砂利道を踏みしめつつ進む。そして今井開拓パイロット事業が何だったかを知る開けた地に出る。昭和四十年代に国有の未婚地を農地との条件で開拓者が自力で取得する政策がとられ、主に青果農が営まわされたが、経営がうまくいかず撤退する農家が増え、四十数年経た今多くが耕作放棄地となっています。この青々とした緑豊な地がそんな状況になっているのは、悲しむべきか喜ぶべきかこちらにはわかんない。
車道に出てキャンプ場へむかう。週末とあって駐車場は満杯、お昼時期ででもあり、あたりは香ばしい匂いがただよう。防火帯の意味もある広い砂利道を進み、黒平山への樹林の歩道に入る。
オリエンテーリングの案内と常緑樹の名前板を確かめつつ、明るい森のなか小さな渓谷へとくだる。水の瀬音のみ聞こえる静かなたたずまいに歩みを止める。ヒノキ林のなかシダが茂る坂道を登り、一の門道と合わせ山頂へひと歩き。八曽の樹海をぐるりと見わたす。
お腹もくちたし帰るとします。八曽の滝まわりで再び林道に出て、岩見山への遊歩道から名大地震観測所へ下りる山腹の道へと進む。もみのき駐車場のゲートをぬけ入鹿池への長い車道をゆく。西日に照らされた尾張富士と対面するころ、明治村の閉村時間を知らせる蛍の光の音楽が流れてきました。
バス停までもうひと歩き、急ぎましょう。いささか疲れました・・。


yubi山のコラム目次です。
inserted by FC2 system