COLUMNS美しき冒険旅行 - 2010 /6/12 -

walkaboutふたりの幼い姉弟の乗った飛行機が墜落したのは、南オーストラリア北部のスタート平原だった。
乗客はふたりだけで、パイロットと航空士は爆発、炎上した飛行機に取り残され、この奥地に放り出されてしまったのだ。
ふたりが知っている町といったらずっと南のアデレイドだけだったし、ニ千数百キロ離れていることすらわからなかった。メリーとピーターがもっと年がいって思慮深かったならその地で救援機を待ち続けることに気づいたかもしれない。けれど幼い姉弟はただもう南へ行くことしか思い浮かべなかった。
ジャングルのなかをわけいって、渓流を見つけてはのどをうるおし野生の実をついばみながらさまよう姉弟。
平原からもりあがった丘に登り、沈みかけて太陽の光線によりまだ人の手が届かない風景がひろがっているのを目にする。はるか遠方にゆらゆらろとゆれ動いているのは海だろうか。ピーターは、海が近いというが、それは海ではなくオーストリラリア砂漠特有の乾塩湖であることを十三歳のメリーは知っていた。五つ下のピーターをずっと守ってアデレイドへ歩かなければならなかった。
メリー、だれかいるみたいだよ。」といったピーターの言葉を姉ははじめ信じえなかった。メリーはあたりをみまわすと、手が届かんばかりの近さにひとりの少年を見た。肌の黒い少年だったが、その黒さはアフリカ黒人とは違う青銅色の皮膚で、毛は縮れていなく、年もメリーより下なんだと気づいた。
三人はおたがいを見つめあい観察しあっていた。
そのブッシュボーイは武器を持たなく動作もぎこちないふたりを無害だと感じた。ピーターのくしゃみとともにその少年の笑うさまをみてまずはピーターが同じように大笑いし、そして話しかけるのだった。裸のブッシュボーイはピーターの服装に関心を持ちついでメリーのほうへも目をむけた。ふたりを観察したブッシュボーイはもうこれで満足とばかり捕った獲物を手にきびすを返し谷を下っていった。ふたりの目から去ってしまったときメリーは途方にくれてしまうのである。あの黒人の少年があらわれるまでは自分が何をすべきがわかっていたが、いま援けを頼めるのはあの少年だけかもしれないと。
ねえ、メリー。あの子を追いかけようよ。」ピーターの声がメリーを生き返らせるのだった。

「ブッシュボーイの属する部落は、どの男性も十三歳か十四歳に達すると、<放浪>を行なう。これは弱いものを淘汰し、父親として生きのこるにふさわしい男だけを確保する人物登用試験であり、部族としての厳粛なる行事であった。・・・・・。(中略)この試験は、少年にひとつの群れから他のむれへ放浪の旅をさせることによって行なわれた。そのあいだ少年はまったく他人の助けを借りずに、自分ひとりだけの力で生活しなくてはならないのだ。古代ギリシャ時代にスパルタ人が新生児たちに課した試練にもまさるとも劣らないほどの苛酷な、精神力と肉体力のテストであった。」(本文より引用)


イニシエーション(initiation)とは、英和辞書では『開始、着手、入会式、等』と訳されています。民族学では『通過儀礼・加入儀礼・成人儀礼』と紹介されています。ある共同体において子供から大人へ仲間入りするため、苦痛・恐怖・苦難・試練などを経験する儀式のことです。未開の地で行われるそれは、ややもすると現代人の目からみれば、野蛮で偏見に満ちた行為だと非難されることがあります。わたしたちでもこどものころ三、四歳上の「大人」から遊びのルールを教えられ、やってはいけないことや守らなければいけないことなどを自然に手ほどきされましたね。
現代では学校の入学式や会社の入社式がそれだといわれますが、だいぶ内容が変質しています。本来のそれは生命にかかわるほどの非情なものであり、最悪の場合、死をも受けなければならないさだめでもあります。


ブッシュボーイは見知らぬふたりの命を助けなければならないと本能的に悟り、叢林への進み方、食べ物の捕りかたなどを手ほどきする。幼いピーターは何の抵抗もなくブッシュボーイの行為に親しみ慣れるが、姉のメリーには文明社会の賢明さがそれを無条件に受けいれられない。何しろ、未開地では布教する宣教師の最初の仕事がかれらにパンツをはかせることだと、彼女は聞かされていたからだ。狂ったかのように炎のまわりで勝利者の踊りを披露するブッシュボーイは、目のまえの異国人が自分と同じ男性ではなく、いずれは子供を生む女性だと知るが、つぎの瞬間、たじろぐはめになる。メリーの目に、ブッシュボーイがいまだ目にしたことがない恐怖のまなざしを見たのだ。それはまたかれに、「死の精霊」の影が忍び寄っていることを知らせる前兆でもあった。

walkabout題名の「Walkabout」にはふたつの意味がこめられている。
ひとつはオーストラリアのある部族で行なわれているイニシエーションといえる成人への試練、ふたつめは文明人である幼い姉弟の生きのこるまでの放浪です。ブッシュボーイに助けられながらオーストラリア奥地を南下するふたりはまたおとなの社会への通過儀礼の旅でもあった。
1959年、「Children」との題で出版。「てっきり実話だと思った。」とそのリアルな描写がおおきな感動を呼んだ。

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1971年、映画化され、そのときの映画題名が「Walkabout」でした。監督はこれがデビュー作のニコラス・ローグ、主人公のひとり、メリーを演じていたのが撮影当時16歳になったばかりのジェニー・アガター※注、弟のピーターをローグ監督の息子が、ブッシュボーイを演じていたのが生粋のアボリジニ俳優であるデヴィッド・ガルピリルでした。※注はクリック
 


COLUMNSトム・ゴードンに恋した少女 - 2010 /3/8 -

アパラチアン・トレイルをご存知ですか?
アメリカ東海岸沿いを南北につらなるアパラチア山脈のふもとを縦貫する自然遊歩道です。
全距離3,500kmを越え、南部ジョージア州からはじまり、北のメイン州までの14州をまたいだ大自然ロングトレイルで、最も高い地点でも2,000mぐらいです。トレイルには幾つかの国立及び州立公園があり、当然国道等も数ヶ所横断しています。全区間踏破するにはベテランでも4ヶ月から5ヶ月はかかるといいます。そのため道々にはシェルター、避難小屋が多く設けられ、また車道が交差するとこから付近の村や町で休憩することもできます。近くには、(近くといっても車でですが)ボストン、ニューヨーク、ワシントンDCもあり、全踏破しなくても、長い休暇を利用したり、車を使い週末の数時間内で森や丘を家族連れで歩くトレッカーも多くいます。(ウィキペディアより)
そのアパラチアン・トレイルを舞台とした物語、「トム・ゴードンに恋した少女」 (1999年) を紹介します。
作者はホラー小説の帝王、スティーブン・キングです。

tom-gorden親が離婚しふたりの子らの養育権は母親がとった。13歳の兄、ピートと10歳になろうとしている妹、トリシアにはそれがとても不満だ。特に兄は前の学校ではコンピューター部の部長として君臨し友だち、つまりコンピューターオタクにかこまれ天国気分だった。それが今度の学校ではコンピュータ学部などなく友だちもできないでいる。心底から前の学校へ、つまり父のところへ戻りたがっていた。もっとも父と暮らすのが最善とは考えていないが。
いっぽうトリシアは今の生活にそれなりに順応していた。母はそんな子らの機嫌取りか、二人をつれてほとんど毎週、「週末の小旅行」と称して植物園、動物園へとつれてまわる。
今回はアメリカ東部のアパラチア山脈をはしる遊歩道を10キロばかり歩く計画だった。母が選んだコースは、車をトレイル脇の国道に留め10キロばかり遊歩道を歩き国道に出て迎えの車に乗り戻ってくるという、難易度からいえば3,4時間歩行の中程度です。でも気乗りしないピートはここでも母と口喧嘩に余念がない。
言い争いをしている二人の後ろをトリシアは、パパが苦労して手に入れたサイン入りの野球帽をかぶりついていく。それはボストン・レッドソックスのリリーフ投手、背番号36のトム・ゴードンの野球帽だ。背負ったリュックにはペットボトルのミネラルウォーター大瓶、昼食のサンドイッチ、それに雨よけのポンチョがいれてあった。
トリシアがしっこしたくなり道をはずれた茂みに入り込んだときからトリシアにとって最悪の旅と化してしまう。もとの道へ戻るるかわりまっすぐ進めばまたもとの歩道に出くわすと予想したばかりに。トリシアはいつの間にか道に迷ってしまった。トリシアは川に出ればふもとの人家に通ずるとばかりどんどん川を求め森深くはいります。 ひとすじの川が沼となりトリシアは落胆し、スズメバチに襲われ、しかも山の水で喉の渇きを満たすが、ひどい下痢や嘔吐に声をあげて泣き出すはめになる。
そのトリシアを助けたのはリュックに入れていたラジオ付のウォークマンだ。
トリシアが外の世界と通じているのはラジオから流れる音楽であり、そしてお気に入りの野球チームの実況中継を聴くことだった。その中でもアメリカン・リーグのセーブ記録を更新つづけるトム・”フラッシュ”・ゴードンの活躍がラジオから流れるのを雄一の励みとなりつつあった。
いつしかトム・ゴードンの見えない姿に励まされ、トム・ゴードンが九回裏のピンチを脱するのとトリシアがこの森から抜け出すことがリンクしていくようになる。
トリシアは何かがあとをつけてうかがっているのを感じながら・・・・。

このS・キング作品にはホラーの要素はありません。どちらかといえばヤングアダルトブックのジャンルにはいるでしょう。物語りもストレートなサバイバルものです。もっともキングには、「スタンド・バイ・ミー」のような幼青年ものの傑作も多々あるのでめずらしくありません。九才の少女が森に迷うきっかけにいささか強引さがありますが、数日間の森で生きてゆくさまはさすがに読ませるものがありました。

yubi山のコラム目次です。
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