一年の半分以上、山旅を鉄道、バスで行こうと決めてから一年過ぎました。
昨年を振り返ると、一月の尾張二山から暮れの大湫稲荷山・水晶山までおよそ40山のうち11山がマイカーでの登山でしたからなんとか及第点をいただける成果でした。特に後半は何がなんでも電車でとばかり時刻表をにらむのが常になったのには自分自身驚くばかりです。
おのれだけそんな山歩きをしたとしても山の環境に何の影響も及ぼさないと考えていましたが、いえいえ世の中にはわたし以上に山への優しい歩きを実践していられる岳人を知り今さらながら恥じ入っています。
自然への環境汚染が叫ばれてから半世紀以上たちますが、山歩きするものにとってここ数年いろいろな場で山の汚染の報告を聞き耳が痛いことです。多くの登山者が大挙し有名な山へ出かけるにつれ山道が歩道化され、営業小屋でのマナー不足が新聞種にあがり、往年の岳人の眉を顰めさせています。昔とちがい休暇や余暇のすごしかたが多様化してきたゆえいちがいに今の登山者を責めることはできません。かって山男が占有してきた山が広く一般に開放されたことは喜ばしいことです。多くの登山者が入山するのも世の流れです。
ただそのアプローチのしかたが大きく変わったことです。それにつれて山側が、これは自然ではなく山にかかわる営業サイドのことですが、入山者の便宜に余りにも努めすぎたきらいがあります。山小屋経営者や山に携わる観光業者にとって入山者の増大は喜ばしいことですが、どうやらそれが今度は自然遺産に悪い影響を及ぼし始めました。多くのマイカー入山者をあてこんだ林道整備や駐車場の設置がさらに自然の首を絞める結果になっていると考えるのは杞憂だろうか。
「環境に優しい」というキーワードが人間世界にのみ言及され自然への接し方が忘れられているのではないでしょうか。
山のガイド本やHPの紹介記事に、「ここまで車は入れます。」とか、林道奥深く車を突っ込んだ写真を自慢げに掲載しているの見ると、どこか間違っていませんか、森の奥深く土足ではいるのがそれほどうれしいのですか、と茶々のひとつも吐きたくなります。
マイカー登山すべてを悪いと考えているのではなく、車を乗り捨てる場所をもっと手前にすべきだといいたいのです。麓で車から降り、登山口まで歩くのが自然(=山)にたいして最小の思いやりではないかと。少なくとも自然に思いをはせるものにはそれだけの覚悟が必要だと考えます。
自然はいいなあ、山はいつ来ても心和むと思うとき、ふとおのれの山へのアプローチがどれだけ自然に害を及ぼしているかに気を配る、すべての自然愛好者、特に登山者にとってそんな時になったと考えます。
ゴールデンウィーク中の自宅にて、曇り空をにらみながら