ぼくの村」 ジャン・コー 1958年刊 - 2007 /10/18 -

きょうもパンタロンは老犬オーギュストをお供に狩りに行きます。
朝の十時は町じゅうの男の子はパパやママからビンタを頂戴しているころだし、教会の司祭さまは小鳥たちと体操をしています。
森番のポティロンからうさぎ狩りを禁じられていました。ライオン狩りなら許可しようといわれましたが、ここは南フランスの片田舎、ライオンなんかいるはずもありません。ところが・・・・

ライオンとサイを仲間にしパンタロンはいたずらをします。
それは、パリ行きの列車が通り過ぎるころを見計り、白いヘルメットをかぶったパンタロンは空に何発か鉄砲を射ち、また森番のポティロンは体じゅうに黒い靴ずみを塗りたくり弓をかざして踊りはじめるのです。
乗客たちは驚きまるでアフリカにいるようだと着いたパリで吹聴しました。パリの共和国大統領は偉大な探検家を送りその土地を探検させることにしました。
ラジオや新聞でそのことを知ったパンタロンは、「それなら、いっそのことぼくらを野蛮人に変装しようじゃないか。」
村人は賛成しすぐ村をジャングルのように変えることにしました。村びとたちは黒いペンキを体に塗りクロンボのように裸で歩きまわりますし、司祭さまはウロコに覆われたワニに変装し、村長さんと森番のポティロンは大きなラクダの毛皮をすっぽりかぶります。郵便局員のエミール夫人は駝鳥にすっかり変身してしまいました。そしてパンタロンはクロンボの酋長という役に任命されました。
でも学校や教会は隠すことはできません。そこでクラスで一番できのわるいジョジョ・ラビーシュは発明した新しい爆薬で両方とも吹き飛ばしてしまいます。用意はすっかり整いかの探検家を待つばかりです。
さあ、偉大な探検家が村にやってきました。どうなるでしょう・・・

きょうも村のひとたちは上機嫌でした。
学校では先生は机の上に寝そべっていますし、教室の隅でジョジョはロケットエンジンを完成しました。彼は月へ行く準備をしています。優等生だけが文句を言っています。
共和国主義者の村長さんは村役場の壁を、青、白、赤の三色に塗っています。
郵便のない郵便配達夫は郵便かごに砂糖菓子やアイスクリームをいっぱいにし売りに出かけます。
その日、パンタロンはコーヒーを作ろうと台所に降りていくと見知らぬ男が立っていました。その赤い服の男は驚いたことに額の上につのが二本、長いしっぽがあるのです。パンタロンがあいさつをすると男はこういうのです。
「そうだな、悪魔だと考えてもいいよ」・・・・

七月十四日はパリ蔡です。
共和国主義者の村長さんは森番のポティロンとその日をどんな風に祝ったらいいか相談しています。パンタロンははいつものように老犬オーギュストと散歩に出かけました。
ある古いオリーブの木のそばでひとりの子供と出会いました。いま時分は学校がある時間なのにその子供はパイプをふかしているのです。パンタロンは子供が怠けて遊んでいると思い注意すると、その子供ふうの男はこういいました「おれは来週には百歳になるんだからな。」
よおく見ると確かにしわだらけの、いたずらっぽい顔した白髪の小人だったのです。「おれはあの有名な親指トムだよ・」・・・・

ぼくの村南フランスの片田舎でおこる珍無類な村びとと動物らが活躍するフランス産エスプリがたっぷりきいたおかしなものがたり。ジャーナリスト、映画シナリオ作者、雑誌の編集者、またゴンクール賞作家でもある、ジャン・コーの唯一の童話です。
挿絵は、「わんぱくニコラ」のサンペとならぶ人気漫画家のシネの絵です。(画像)「ぼくの村」訳者-花輪莞爾 
鰹ケ文社・1971年刊文学のおくりもの第一期このシリーズは第四期26冊までつづき素晴らしい作品ばかりでした。特に第一期はこの「ぼくの村」、「たんぽぽのお酒」レイ・ブラッドベリ、「まっぷたつの子爵」イタロ・カルビーノ、「セルビアの白鷺」ロレンス・ダレル、「皮商売の冒険」ディラン・トマスと宝石のような輝きをはなつ作品群でした。

COLUMNSむかし話「浄安スギ-『続・美濃と飛騨のむかし話』岐阜県小中学校長・編より
 - 2007 /5/7 -

登り千人下り千人」とある白山美濃禅定道は昔は飛騨側からの唯一の白山登山道でした。その南登り口の最後の集落が石徹白(いとしろ)です。
ここ石徹白には大きな社殿をもつ白山中居神社があり神社あたりを上在所と呼んでいます。白山参拝者の案内をかねた宿屋が何軒かあり、円周寺もそうした宿坊を兼ねていた。

ひとりで寺をまもる住職の浄安(じょうあん)は白山詣での道案内をしたり宿泊の世話をしたりして多くの参拝者を迎えていました。参拝者は下山のさいそうしたお礼として幾ばくかのお金を寺に入れていました。神さまにつかえるものとしてあたりまえのことをしていると承安は来る日もくる年も参拝者をあたたかくもてなしていた。
そんな浄安がいつしか体の衰えをおぼえたころ気がかりな悩みをいだくようになった。小さな寺に一人住む承安には子供も弟子もいないのでいままで参拝者が入れてくれたお金の使いみちをどうしょうかと考えていた。村人のために使おうとも考えたがそれでは喜捨してくれた参拝者にすまないと思い、ならいつかこの白山の社に大事が起きたときこの大金を役立てようと決めた。
そして手元に置いておくより社の奥深いところに埋めておくほうが後々気が休まると思った。村人に見つかれば争いの種になると考え浄安は日が落ちるまえにお金が入った大きな袋をかつぎ白山中居神社奥へと腰を折りおり入っていった。
険しい道をはいつくばりながらどこに埋めたらよかろうとあたりに目を配りながら進んでいき、もう暗くなりはじめるころ目の前に大きな三本スギが目にはいった。浄安はここに決め三本スギの根本あたりを掘って大金の入った袋を埋めることにした。そして埋めた場所の目印としてヤドメ(※)の小さな木を植えた。
「もしお金が入用なとき、ヤドメの葉を白く変えて村人にこのお金のありかを知らせてくだされ。」と念じて山を降りた。

その後ほどなくして浄安は思い病にかかりもう生きられないと知った時、村人らにあのお金の使いみちとありかを教えた。
「大きな三本スギの下、葉を白く変えたヤドメのもとを掘りなされ。」と言い残し安らかに目を閉じたのだった。
それから村人はその三本スギを見つけたが、ヤドメの葉は白くなってなく浄安の言い残したとうりそのままにしておいた。やがて何年もすぎ幸いにも村に大きな変事もなく無事な日がつづいたので、村人はむしろヤドメの葉が白くならないように願うのだった。
今ではその三本スギを「浄安スギ」とよんでいる。

(※)ヤドメ:モチノキ科 モチノキ属 常緑低木
別名:ヤチイヌツゲ
石川県の地方名:ヤドメ
節分の豆を炒るときこのヤドメを燃やしたりヤドメの枝で掻きまぜたりする。

<あとがき>
本では三本スギに巣くう一羽の鳥が村人をスギのところまで導いてくれる説明になっていますが、いささか作り物めいているので省略しました。
このむかし話を編集なさった方々は「子どもにわかりやすく読ませるというのには、表現上いろいろ工夫がいる」と話されていますが、さてわたしのほうはいかがでありましょうや。
この浄安スギの写真はインターネットでも見ることができます。検索してご覧ください。

COLUMNSわたしの里山への思いと目標- 2007 /2/9 -

denshaここ2年前から電車やバスを利用しての山歩きに努めている
bus山村の過疎化が叫ばれて長いですがバスの便が極端に悪くなっている今、日帰りで地方の里山を訪れるのはなかなか困難です。ほんの2時間少々の山歩きでも電車やバスの運行時間などで一日かかってしまうことなどざらである。それでも公共のアクセスを使うのにはわけがある。
数十年前まで会社勤めしていたとき山歩きするといえば夏や冬の休みもしくは有給休暇をとってのアルプスや八ヶ岳登山が主でした。公務員でないので山岳会に入るの無理でした。(これは皮肉ではありませんぞ。)やがて会社を辞め自営となり仕事がうまく軌道にのると再び山歩きしたいという虫が騒ぎました。今度はアルプスではなく里山に目がいくようになった。平日でも登れてアクセスが容易いというのが最大の条件でした。
また車を持つようになったのも忘れてはならない要因です。時間と己の都合を満たすにはこの車ほど便利な道具はない。夜行列車に乗り駅で仮眠するなんてことは大半の登山者にとって過去の話です。車なら登山口まで楽に乗付けれ下山もあまり時間に縛られることがない。
いま中高年の登山者が増しているのもこの車登山ができることが最大の理由かもしれない。何しろ車の性能が昔よりも格段と上がっている。わたしもそのくちで仕事の合間に車であちらこちらの里山を登りました。その経過をHPに載せるようになったわけです。
わたしの車は四輪駆動ではないので登山口まで地道が伸びていてもあまり深追いせず車を捨て歩きます。そんなおり登山口で大形車を見ると、なぜここまで上りつめなければならないかと頭をかしげます。わたしの大形車への妬みも少しありますが。
数年前、雪の高賀山を訪れたとき、比較的暖冬だったおかげで瓢ガ岳登山口までの舗装道を我が車でも上がることができました。そこからスノーシューをかついで歩き村境で靴に履き替えましたが、なんと車の轍が延々と行く手へ続いていました。すごいなと一瞬思いましたが、これは山(=自然)に対するある種の冒涜ではないかと考えるようになった。仕事で来ているのではない、遊びで登っているのである。たとえ舗装道でも雪に覆われていたら遠慮する気持ちが必要ではなかろうか。それともそんな感情を抱くのはセンチメンタリーに他ならないだろうか。
また、とあるHPで、登山口からさらに林道を走った際、地元のかた(林業作業者?)からうろんな目でみられたのでその山行きの楽しさが半減したとの内容が書かれていたが、これは逆の立場からいえば、なぜそこまで車を乗り入れしなければならないのかとの疑問が起きるのは当然のことだろう。もし地元の人から注意を受けたら素直に車を戻すくらいの度量が必要ではなかろうか。
ところであの「富士山を世界遺産に」はどうかならんだろうか。富士山をきれいにしたいという行動はわかるのだが、それが世界遺産への候補となるような運動は筋を間違えていると思う。世界遺産云々はさておいて、富士山がどれほど汚れているのか登ったことがないわたしにとってわからないが、年間訪れる登山者の数からいえばそうなることは必定だろう。年間20万人にも及ぶらしい。代表的な登山口である富士宮口では標高2400mに駐車場、河口湖口や須走口の駐車の様子を写真でみるとわたしのような者には訪れるのが嫌になる。さぞ排気ガスと汚物に見まわれた世界をみるであろう。もちろん夏のマイカー規制もあるがそれはほとんどお為ごかしにすぎないといえる。もし富士山を是が非でもきれいにと望むなら、ことは簡単だ、車登山を完全に閉め出せばいい。そして登頂するには少なくともふもとで一泊しなければならない山登りにすべきであろう。が、これはほとんど不可能だろう。ます観光業者から賛意は得られない。また登山者側からも不満が多く寄せられることは必至です。せめて乗鞍のように麓の駐車場からシャトルバス等の一定許可運行になれば富士山も変わるだろう。ほかに妙案があれば聞きたいものです。
a-cup閑話休題
わたしのことしの目標はせめて年間登山の半分は電車やバスを利用した山歩きにするということです。胸をはって電車内でリュック姿を披露しよう。時代遅れと言われようがこれが山(=自然)へのせめてもの思いやりと思いたい。さしずめいまわたしが心すべきことは、山歩きする日はもっと早起きすることか。夜派のわたしにはそれが一番辛い。

yubi山のコラム目次です。
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