COLUMNSまだみぬ「友へ」- 2005 /6/29 -

くつ深山という山、ご存知でしょうか?「みやま」と呼ぶそうです。
東海地方ではまず知られてないでしょう。ネットで索引しても、なかなかヒットしませんでした。大阪府の北端、兵庫県との県境に立つ標高790.5mの低山です。山域でいうと、北摂・丹波の山です。
近くに黒いダイヤと云われた丹波黒豆で知られる篠山市があります。落語の好きなかたならば、体中鍋墨を塗った大人が「丹波奥山で捕れた荒熊でござーい。」といって一文のお宝をめぐんでもらう乞食の話しでご存知でしょう。
山頂まで車道が通じ、ハイキングコースもあります。何の変哲もないごく普通な低山にみえます。けれどこの山の北面に広がる森や谷に魅せられ、あらゆる道、尾根、そして岩を訪れる山歩き御仁からすればその一帯が緑の桃源郷にみえる。自宅に近いという利点もあって、休日の日に「谷を一つ登って尾根を一つ下る。」という山歩きを続けた。登ったからにはその谷の名を知りたいと山主さんや林業の関係者のかたに尋ね、代表的な尾根には番号をつけ詳細な山地形図を作成した。谷筋のわずかな踏み跡をたどり鞍部へ上がり雑木林へ突入する。道標もなく確かな読図ができなければたどれない藪混じりの道を気を引き締めて進む。かっての古道や鹿道、そして巡視路も御仁にとっては大切な道である。面白い岩があれば体を横たえてお昼寝とする。源流をめぐる谷歩きもいい。
こんな山・森歩きもあるんだなと知りました。

bookそんな山歩きの達人さんが三年近くかよった深山や周辺の山々を細かくレポートした本があります。パソコン通信の山のフォーラムをご覧なったかたなら一度はお目にかかったハンドル名「妻恋地蔵」さんが書かれた「低山趣味」-深山・芦生・越美-(平成12年12月発行)がそれです。
わたしが妻恋地蔵さんからメールをいただいたのもパソコン通信の山のフォーラムでのわたしの発言からでした。2002年の晩秋、板取村からの平家岳南稜を往復した旨を投稿したおり、わたしあてにご丁寧なメールをいただきました。以下がその一部です。


「先日、久しぶりに「北近畿」-niftyの山のフォーラム-を覗きましたら、ハメットさんの平家岳南尾根のご報告が目に入りました。懐かしく拝読しました。(中略)左門岳もたいへん懐かしかったです。偶然ですが、8年前に、私もハメットさんとほぼ同じコースから左門岳に登りました。今は山道があるのですね。驚きました。」(※ハメットとはわたしのハンドル名です)
そしてなんと上記の御本を謹呈していただきました。
「低山趣味」には副題にあるとうり美濃越美国境の峰々をたどられた山行きもあります。
渓谷と滝が美しい川捕谷周辺、蝿帽子峠や白木峠を越える古道、そして驚かされたのは春浅い時期の根尾東谷から左門岳登頂そして平家岳・滝波山と続く縦走でした。とてもわたしのような平凡な山歩きものにはとても経験できそうもない記録を読ませていただきました。笹生川から屏風山への谷遡行もしかり。
それから3年近く経ってもわたしの山歩きはいまだに里山への往復ばかりです。わたしがひとつの山域をくまなくめぐるようになれるにはまだ山歩きの本当の技術が足りません。
まだ見ぬ友人の域に近づけれるのはいつのことやら。

ゆび「妻恋地蔵さんの深山をゆく」
COLUMNSブナ林を歩いて- 2005 /6/2 -

日本の高山雑木林の代名詞ともいうべきブナの森を歩いても、これがブナだと指すことができない。ブナとの札が垂れ下がっていなければ、太い幹だなってな思いでとおり過ぎてしまう。何とも情けない山歩き人種である。これではいけないと自省し、山地の森林植物図鑑を購入したのが昨年、特に山腹に植生する落葉広葉樹林をみることにした。
日本のブナ林の特徴としてあげられるのは、
1.林床にササ類が繁茂している
2.常緑低木が伴っていること、
などがあり、また日本海側と太平洋側とでも特に高山帯では異なった林が形成されるとある。日本海側の林は圧倒的にブナが中心となり、太平洋側のそれはヒノキやツガなどの温帯性針葉樹も混じる。これは、豪雪のため雑多な植物が繁殖しないことが原因と考えられている。
日本のブナ科は、ブナとイヌブナの二種がある。まずブナの葉は葉形にそれとわかる特徴がある。葉のうちが波形となり波の凹んだところにすじ、側脈が入る。このような葉形は他にはない。そしてブナとイヌブナの見分け方はその側脈の数で知る。ブナは10くらい、イヌブナは15くらいである。ブナの水平分布、ブナ帯をみると北海道道南から東北、中部が主ですが、標高1000mあたりの中国、四国及び九州の高山にも見られるとある。ブナの本場は豪雪地帯、東北地方にある。
ブナの葉形からブナと判別できても実際森でブナを見つけるのは容易ではない。あたりまえである。ブナ林はいろんな木々が混在しているからである。こうなってくると図鑑を見ただけではわからない。やはりそれなりの知識が必要となる。
図書館で手軽に読めれる小誌をさがしていたら、こんな本が見つかった。

book西口親雄著「ブナの森を楽しむ」岩波新書1996年発行
目次を拾うと、
1.ブナ帯スケッチ
2.ブナの森に入ってみよう
----------3.ブナの一生
----------4.ガとチョウからみた日本のブナ
----------5.森の安全保障システム
----------6.伐採と開発を考える
----------7.復活への模索
特に、2.で描かれたいろいろな芽や葉の形、ブナ林の構造の絵などは長年、森を友としてこられた著者ならではのデザインである。
この小誌で著者がより強く述べたかったのが、6で書かれた国有林の問題である。
戦後の木材需要から始まった国有林内の無秩序なブナ伐採とスギ・ヒノキなどの針葉樹林への転換が今日の林業の危機の原因となったと言われるようになって久しい。安い外材の輸入もそれに拍車をかけた。そのため森林経営も個人、国有を問わず苦しくなった。独立採算制になった林野庁は世論に押されてブナ林に伐採を最盛期に比べて約半分に減らしたという。その結果、その不足分を国の一般会計から借りるようになった。利息も付けて。それが積もり積もって約三兆円を上回る借金となっている。まるで消費者ローンの債務に落ちこんだようだ。
著者はここで、「ブナを伐るな!」とは言っていない。広葉樹は伐採しても根株から萌芽してまた樹林を造る。これが土水環境をも守る二次林である。里山の二次林を強く勧めている。そして山をスギ一色にせずブナなどの広葉樹を残し混成林とするよう提唱している。つまりかっての里山の雑木林を取り戻したいのである。
ブナの森に入って個性ある樹木を観察し、そこに生息するチョウがガなどの虫たちとの共生からブナの森の一生を考え、そして森の復活への提言へとこの小誌は今の森を知るうえでおおまかな様子を短時間で読み取ることができる。
あとがきで、ユネスコ世界遺産指定された東北の白神山地の入山禁止について言及している。白神山地のブナ林が東北の他のブナ林と比べて特に優れていると思えないと言い切る著者は、なぜ大ぜいの人が白神山地へと押し寄せるのか理解に苦しむとなげく。白神山地の森は地元に住むひとたちのものではなかろうか。なにも白神までゆくことはない。白神はクマゲラに返そうでないかと。これは私たち山歩きにとって傾聴すべき言葉だと思う。
ケヤキミズナラ
5月末、美濃白鳥の井洞国有林を歩くにあたってこんなことを考えてみた。
COLUMNS映画「フィオナの海- 2005 /3/6 -

スコットランドの港を出た小さな蒸気船の舳先に十歳になるほっそりした少女が潮風を受けて立っていた。少女の名はフィオナ、これから少女が生まれた島より大きな島で暮らしている祖父・祖母のところへ一人でむかうところです。
フィオナが生まれ育ったロン・モル島は、島での生計がたてなくなった住民すべてが近くの島や都会へ出たため今では人が住まぬ島となっていた。フィオナも両親や兄、姉とともに都会へ出たが、街での暮らしがなじめないため、医者からひととき島に住む祖父のところへあずけたらと言われたとき、フィオナは喜んだ。両親や兄弟は島へ戻る気などさらさらなかったのでフィオナひとりがもどることに何の反対もしなかった。
フィオナはこれから一緒に住むおじいさんやおばあさんのことを思いながらも、いまひとつ心に決めたことがあった。それは弟、ジェイミーのことだった。みんなが島を捨てたとき、小さなボートでは家族みんなを一度に荷物船へ運べなかったので、フィオナの弟、ジェイミーだけが木のゆりかごに乗せられたまま浜辺に残さざるを得なかった。そして父親がそのゆりかごを積むため海岸へ戻ったとき、フィオナや両親の目の前でジェイミーを乗せた木のゆりかごがかもめらに引っ張られるようにして沖へ流されてしまった。捜索のかいもなくジェイミーも木のゆりかごも見つけることができなかった。それ以来、ジェイミーの名を口にするものはだれもいなかった。でもフィオナだけは、いまでも弟ジェイミーはあのロン・モル島のどこかにいるのだと信じていた。いまでもロン・モル島の岩礁にはあざらしがたくさん住みついていることも。
ジェイミーを連れ戻したいという気持ちを胸に島へ戻ってきたのだった。

bookカナダ生まれのイギリス女性作家・ロザリー・K・フライが1957年に書いた小説『フィオナの海』(原題「Child of Western Isles」)は、「ひとりのけなげな少女がみずからの信念にしたがって失われた弟を取り戻すにいたるまでの物語」です。-『フィオナの海』矢川澄子訳、集英社1996年刊-
この物語には、セルキー伝説がたくみに取り入れられている。
セルキーとは、北欧ケルトに伝わる妖精らのなかのあざらし族のことです。むかし、ある若者が漁から戻ってきたとき美しい女性を伴ってきた。その女性はあざらしの衣を若者に隠されそのまま人の世界に連れてこられたのでした。子供も生まれむつまじい生活をつづけていたが、あざらしの衣を見つけると子供を捨てて海へ帰っていったというおはなしです。
日本にも似たようなおはなしがありますね。

祖父母のすむ島に帰ったフィオナがロン・モル島の生まれた家を訪れたとき、ふしぎな光景をみた。家の外は雨風にさらされて痛みがひどかったが、家のなかはさほどでもなく暖炉もいままで使われたいたようにみえ、テーブルには牡蠣の貝殻などが並べられていて、まるでだれかが食事したような感じであった。
そしてある日、フィオナが桟橋であざらしをみかけたとき、誘われるように小さなボートで沖へ流されるのでした。着いたのはロン・モル島の家の前の海岸でした。そこでフィオナが目にしたのは岩場を走る日焼けしたちっちゃな男の子のすがただった。
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eigaわたしがこのお話を知ったのは、映画からでした。
1994年に製作された『フィオナの海』(映画原題は「The Secret of Roan Inish」)をビデオで観たきっかけは監督・脚本を手がけたのがジョン・セイルズだったことに他ならない。
映画では舞台をスコットランドからアイルランドに変えていたが原作を読んで内容はほぼ忠実であった。彼はほとんど自作の本で映画制作する数少ない監督です。若い時にB級映画の脚本を書いていたが(「アリゲーター」「宇宙の七人」等)、80年からは本格的に映画を撮りだした。1920年にアメリカの小さな炭鉱で労働者と経営者との軋轢が大虐殺と転じてしまった実際の事件を取材した1987年製作の「メイトワン1920」以来、わたしのもっともお気にいりな映像作家です。1919年のワールドシリーズでの八百長ゲームを描いた「エイトメン・アウト」(これは原作ものでした)、そして彼の今までの最高作「欲望の街」がある。
山のコラムには似つかわしくないお話しでしたが、どうしても書いておきたかったので今年はじめての駄文としました。

yubi山のコラム目次です。
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