- 2002 /10/22 -

「週刊新潮」連載コラムに以下の記事が載っていました。(02.10.17)
掲載紙には事後承諾のメールを出しましたが、出きるだけ原文に近い形で写しました。

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           ・                     ・                   

ここまで書いてきて嫌になるといのか、腹がたつというか、もうあきれてしまう。
「地方の時代のウソ」と題されたこの雑文の内容が事実としたら、いったい村の過疎とか都市との格差是正とか叫ぶ地方のメデイア(新聞・TV等)は何と評するだろうか。

ちなみにネットで、富山村ホームページ(http://www.avis.ne.jp/~tomi_vil/main.html) をのぞいてみると
とみやま村は、・・・役場や行政の組織もとっても小規模。村民が全員知り合いです。」
村の面積の94%が山林で、日本最小の村と紹介されています。たしかに3階建てのすごい校舎の写真が載っています。それに「森遊館」という2階建てプール付の建物が富山村教育文化センターなる行政で運営されてもいる。山村留学とかみんなの森大学とかいう生涯教育(※嫌いな言葉)がこれらのたてもので催されている。
わたしは小さな村や町には職業的村長、議員などは全く不要だという考えです。話し合うことがあれば週末や夕方に集まって議論すればよい。直接民主主義が最も発揮できうる環境でうらやましいとさえいえる。欧州やアメリカでは役場すらなくてもちゃんと行政がやっていける村が数多くある。

過疎にはその原因があり、そこで生きていくにはそれなりの覚悟がいります。でも不便の裏には自由があります。いろいろな施設や環境を都会とおなじように享受することは不可能です。幾らか不便であってもそれはいたし方ないのです。
こういう寒村の問題として常におもてに出されるのが、老人と子供のことです。そして、過疎だから淋しいとか、病気になったら病院が近くにないから不便とか、町の子供らのような施設を利用させてあげたいとか、可愛そうだとかいろいろ不平不満を述べます。
でも山がの子供らがさびしいなんてのはウソです。子供らはどこでも楽しみを作ってしまうものだ。医療にしても、世界のどの国からみても遜色がない国となったいま、過疎だから充分な医療が受けれないという理由はないはずだ。もし医療施設に不安があれば村の人件費を削ってもそれにあてるべきだろう。まして産業がないから公務員という仕事に生活の糧を求めるというのは本末転倒だ。
地方交付税が悪いのではない。中央に税が集約されている今、地方交付税は地方自治にとって必要不可欠な財源です。国民が払う種々な税はその地方に還元されることは至極あたりまえだから。しかし上記のような支払われ方は不公平の極みです。
すべての小さな村や町が富山村のように国に頼りきっているとは思わないが、わたしたちが従来からもっている村の素朴なイメージに疑問を持たざるを得ない時に、いまなっていることだけは確かであろう。

・・
 コラムへのご感想、ご批判などお聞かせください。
 <追 伸>
 この記事の後、富山村は雑誌社へ抗議するという記事を新聞で見ましたが、それはうやむやになりました。筆者はそのことを富山村へメールしましたが、無しのつぶてでした。(笑)推して知るべしか。
- 2002 /6/16 -

ある著名な山岳写真家がヒマラヤなど世界有数の山々を機上撮影し続け、それを出版したことを伝えたニュースをTVで見た。
飛行機の窓をあけての撮影のため、酸素マスクをつけての撮影シーンを見て、何と費用のかかるぎょうぎょうしいことをする人がいるものかと驚いた。高所からの山のプロフィールを撮るための結果だが、費用がかかればかかるほど時間的にも肉体的にも容易に可能な"わざ"となりうるのだろう。
かっては山岳写真といえば、重い機材をひとりで背負い、時間のゆるすかぎり山のなかにはいって何日かそのシャッターチャンスを待ちつづけるものであったという。
今やそれをやり終えた写真家は次の撮影シーンを求めて、他者の力を最大限に利用し、かってない角度から山の写真を撮ろうとしている。わたしがそこに行き過ぎた欲求をみてしまうのはなぜだろう。これは宇宙から地球を見てみたいと望んだ人の感情に似て非なるものだと思う。
ソ連宇宙飛行士ガガーリンがはじめて宇宙から地球をながめたとき、彼は、「地球は青かった。」といったという。地上にいた人達は、モノクロ写真でみた宇宙船の窓からの地球のすがたに驚き、また感動した。十数年後、月からみた青い地球のカラー写真をみて、ひとは地球の美しさに畏れさえもおぼえた。
はなしはちょっとそれるが、今、医学では不妊治療にも人の手が及び子供をさずかることができるという。生まれてくる子供のことを考えることよりも、子供が欲しいという親の欲求が優先される。医者はそんな親を患者、クランケとみて、最新の医学知識を教える。でもそれは医術ではなく、医工学と呼ぶ代物だろう。子供が欲しいと執拗にせまる夫婦に、無理ですと諭す医師がどれだけいるだろう。それが夫婦にとってつらい決定だとしても、である。
自然にかかわる芸術家にもそれと同じことが言えるのではないだろうか。
自然の摂理に反しての芸術活動にどれほどの意義があるのだろう。
自然に立ち向かう姿勢は素晴らしい。地に足がついている創造は、たとえ空想の世界でもわれわれを楽しませてくれる。山岳写真もそれがいえるのではないか。
ニュース写真ならいざ知らず、飛行機から写した山の写真に何の美しさを感じるものか。どうしてもと言うのなら、自分の目で機上の目撃者となることだろう。

- 2002 /2/3 -

現代中国短編小説を紹介します。

山 那人 那狗(あの山 あの人 あの犬)」彭 見明(ポン・ジェンミン)1983年

今日は老人にとって最後の郵便配達だ。
いつもは山里を二百里(中国の一里は0.5キロ)も、山道をへて寒村から寒村へと歩かなければならない。二泊して三日がかりの旅である。
曲がった一本の天秤棒の両端に郵便袋をぶらさげて、肩にかついだその老人はもう数十年も山を行き来していた。支部長から「もう引き退きだなあ。」と言われても、素直にそれを認めようとはしなかったが、いまの老人はもう意地をはることはしない。支部長は、老人に内緒に彼の息子に身体検査を受けさせ、すっかりその交代のお善ができていた。
息子を連れて道案内をし、郵便の仕事を息子にたくす。田畑を駆け回りながら息子に山を好きになるようにと歩く歩合いをおしえ、村々の顔役のうわさやら、手紙をわたす相手の境遇など老人の今までの経験を事細かに話した。息子に仕事を受け継がせることに何の悲しさがあろうかと自分に言い聞かせながら。
長年連れ添ってきた犬も見知らぬ男が郵便袋を釣り下げた天秤棒をかついでいるのに悲しそうな声でなく。いつもその老犬は老人のまえを当たり前に走ってゆく。今日は後ろを振り返り振り返りながら駆けてゆく。
行く先々で老人は村の人に息子をおしえる。村の人々も喜んだ。また村の人々は老人の行く末を案じたが、老人は言う。「息子と交代で来るんだ。」と。
また夜になろうとするころとある村にはいると、一人の少女が夕暮れのなか鋤ををふるっていた。その赤い服の少女は郵便配達員の姿をみるや老郵便員の名をよび、駆け寄ってきて息子の荷を受け取る。少女ははにかんで息子をみる。老人は息子を紹介する。その晩、親子は夕食やら暖かい布団を用意させてもらう。
老人は自分が若いときを思い出した。そして、老人は息子の母にすまないと思った。郵便配達に休みはなかった。自分が山里を歩き回っていたころ、母親は家にいてどんな苦労を重ねていたものかと。その父親と同じ運命が息子を待ち受けているだろうか。
親子が郵便配達から帰ったとき息子は老人と語り合った。老人が留守のあいだ、村人がいろいろ面倒をみてくれたことを。

そして息子のひとりの郵便配達の日が訪れた。
息子のために八十斤(40キロ)もある二つの郵便袋の荷造りをするが、もう老人の手はむかしのように動いてはくれなかった。
息子は心細さからか泣き出しそうな顔をみせ、なかなか歩き出そうとはしなかった。父は背を向けた。犬はどうしていいものか迷ってうろうろする。老人は犬に息子といっしょに行くように命令する。「おまえがゆかなければ息子は川を渡ることもできないだろう。おまえや郵便配達人を村の人がどんなに待っているのか。さあ、ゆくんだ!」
老人は突然竹の棒を拾うと、犬の尻を打った。犬は悲しそうな顔を見せながらも新しい郵便配達員の後を追っていった。

-「山の郵便配達」 大木康・訳 集英社刊 (2001)-

eiga映画「山の郵便配達
霍建起監督 1999年 中国アカデミー賞最優秀作品賞

yubi山のコラム目次です。
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