夏の特別増刊読み物
<ザイルの両はじ> ---エチエネ・ブリュル
広い病室内のカフェで、ぼくはインターン仲間らと休憩時の雑談に話しを咲かせていた。
友人のポールからある話し語りのうまい相手、精神科医のプレールを紹介され、ぼくがアルピニストであったことからポールは、
「興味のある話といえば、君の患者の・・・、例のザイルの一件だよ。」とポールが話をきりだしたのを機に、次の話がプレールの口からついて出てきた。
「あの話はまるっきり愉快じゃないから」
ポールやぼくの催促に、やっとプレールは話し始めた。
アルプスのとある避暑地で、一流のクライマーか、たんに山登りがすきなだけの男が、そのホテルに逗留していた可憐な少女にロマンチックな恋をしたのがはじまりだった。
山男によくあるように彼は彼女を山に連れて行こうと考えた。
彼女の両親ははじめは猛反対だったが、熱心な彼のことばとガイドがいっしょならとの条件で渋々折れた。
ところが、その時期はホテルに閉じ込められていた客がいっせいに山に登ろうとしたため多くのガイドが出払っていたので、彼のところには正式でないもぐりの年寄りしか残っていなかった。
しかたなく彼はその年寄りのガイドを彼女の両親の目にとどかないようにして、それでもでかけることにした。
初日の山小屋までは平穏だったが、次の朝、案の定、くだんの年寄りのガイドは朝から酔っ払って出発が少々延びてしまった。
さて、三人はザイルをお互いに結び合うこととなった。
普通ならば、彼女を真中にするのだが、彼はガイドを充分信頼できないものか、自分が真中になるよう言い張ってザイルを結んだ。こうすれば、娘をよりサポートできると考えたからだが。
お昼を過ぎてやっと頂上に登ったが彼らだったが、下るルートは同じ雪の斜面をくだらないで、岩場を通るつもりであった。が、老ガイドは彼に恨みを抱いていたものか、雪の斜面を下ると言い張った。
彼は反対したが、娘のてまえこれ以上言い争いは不安を抱かせると思い、しかたなく老ガイドの指示を受けることにした。
午後の雪は柔らかく、彼の不安は的中し、大斜面はなだれとなり、三人を一瞬のうちに飲み込んでしまった。
「雪崩に巻き込まれたときは、水泳のように手足をばたばた動かし、雪の表面に出るようにしろと言われているが、実際はどの程度効果があるか大いに疑問だが、何とか彼は雪崩の表面近くにいることができ、雪崩が止まったとき、彼は頭の上の雪を払いのけることができ、助かった。」
彼が雪から立ち上がったとき、自分だけがその雪の斜面にいることを知ったときの気持ちを想像することは恐ろしい。
だが気をとりなおして、仲間の、彼女の埋まったいるとおもわれる位置の手掛かりを見つけなくてはならない。
それは一本のザイルに他ならない。
彼は、腰の結び目から出ている2本のザイルのうち、彼の前、つまり斜面のしたに伸びているザイルをちゅうちょなく掘り出すことに決めた。
ザイルは15mだ。彼は死にものぐるいで雪を掻き始めた。
手放していたピッケルをさがしだし、凍える両手で雪を払いつづけた。数メートルも。
けれど、こうした努力をあざわらうかのような運命が彼を待っていた。
雪の中のザイルがカーブを描いて、上にのびていた。
「上のほうだって。」
「彼は下のザイルの先に愛する彼女がいるものだとばかり思って、懸命に雪をかいだのに。それがあの意地悪な老ガイドを助けるために今まで掘りつづけていたんだ。」
彼は冷静さを失って、今度はもう一本のザイルのほうをたぐりよせることにした。
こうして彼の雪かきは再びはじまったが、数メートルもゆかないうちに、そのザイルはゆるく下にカーブしていたんだ。いや、どこかでまたあがっているにちがいないと自分に言い聞かせて、カチカチに凍りかけた雪と格闘しつづけた。
けれど作業ははかどらず、いや本当にこのザイルの先に彼女がいるのかさえ疑うようになっていた。
もう一度気をとりなおして、彼はある考えに気がついた。
それは、ザイルの結び目を調べれば、上下の区別がわかるかもしれないことだった。
腰の結び目をまえに持って来て確かめようとしたが、2本のザイルは雪崩のおかげでごちゃごちゃになっていた。
そこでザイルを体からはずそうとしたが、雪でふくらんだザイルはとても解くことはできないことがわかった。
次に彼が試したのは、ザイルのほつれをなおそうとして、雪の中を体をくねったりしてザイルを解きほぐそうとしたことだった。
何とかザイルを解いたが、しかし事態はすすまなかった。
2本のザイルのうち、どれが彼のパートナーにつながっているかは判断できなかったからだ。
彼はあらゆる可能性、仮定を考えあきらめることなくその作業にしかも冷静に熱中していた。
もう山中は闇に包まれかかっているのに。
話の語り手であるプレールはここで口をつぐんだ。
わたしらはこの奇妙な話の結末を待っていた。
プレールは時計をみて立ち上がった。
「もうこんな時間か。患者のところに戻らなくては」
「最後まで話してもらわなくちゃ。」
「結末。・・・ハッピーエンドにはならなかったことは予想できるだろう。
どうしても知りたいのなら、ぼくの病棟までへゆくおりにはなしてあげよう。」
その娘の両親は帰宅の時間がきても帰らないので、土地のポーターやガイドに二人の捜索を頼み込むことにした。
夜中に出発した捜索隊は夜明けまでに遭難現場に着いた。
そこにはかの男がひとり、雪の上で2本のザイルをそれぞれの手に握っていた。
捜索隊が娘らの埋まったいるとおぼしきところを掘り返す作業をしていても、彼はザイルを離さず何かを真剣に調べているかのようだった。
捜索はわずかの時間ですんだ。
老ガイドは雪の塊のブロックに押しつぶされて即死の状態だった。娘は老ガイドの近くに薄い雪に覆われていただけで、どこにも傷はなかった。
つまり掘り出すのが早かったならば彼女は助かっていただろうとおもわれた。
「それで、どっちのザイルのはじにいたんだろう、彼女は。」
「これはばかげたことなんだが、・・・ガイドたちがそんなことに注意するはずがないじゃないか。つまり、その点はまったく不明なんだ。」
「で、彼は。」
「ひどい凍傷で両手の指を何本か切断したが、命には別状なかった。」
ぼくらは病棟の入り口までやったきた。
「ともかく、会ってみたいのなら・・・。」
「え、彼がここに?」
「ああ。そう思わなかったかい?」
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