繖 山
- (きぬがさ山)近江の古刹参りと巡礼の山道そして山上のハイキングコースをゆく -
- 近江風土記の丘から桑實寺まで、三十三体の石仏 -
石仏の道
- 安土山(安土城址)と西の湖 -
繖山直下から
<
交通アクセス
>
(複)JR能登川駅 → 名古屋駅
運 賃
1690円
<コ−スタイム >
歩行時間:4時間10分
安土城跡→(15分)近江風土記の丘→(25分)鉄塔・石仏の道→(30分)桑實寺→
(30分)観音寺城跡→(15分)観音正寺→(25分)繖山(標高432.7m)→(30分)地獄越え→
(15分)雨宮竜神社駅→(35分)北向岩屋観音→(30分)JR能登川駅
お昼後、安土城址をあとに
繖山
(
きぬがさやま
)へむかう。山麓には
桑實寺
(
くわのみでら
)、
観音正寺
そして五個荘の石馬寺(
いしばじ
)が点在しいろいろなハイキングコースが設けられています。
安土城駐車場から国道を歩き北腰越へ、「近江風土記の丘」入口より道は二手に分かれ、車道を通って公園、文芸セミナリヨをへて桑實寺へあがる長い石段へ、すぐ尾根に上がって途中から石仏の道へ入り桑實寺裏口へ通ずる巡礼の道(
1.4
キロ)とがあります。(繖山へ直に登るなら後者を上がりそのまま山頂へ、
1.6
キロ)
まだ日が高いと考え三十三体の石仏を拝みつつ桑實寺へそして繖山をめざす。雑木のなか落葉を踏みしめながら緩やかな坂を登る。
きれいに区画された水田地帯を眼下にする鉄塔から道をわけ山腹の細道へ進む。シダがびっしり生え小岩を越えつつ休みなく石仏が並ぶいかにも巡礼の道です。時間が許せばひとつひとつお顔を拝みたいのですが・・。人工の階段から先の丘からの車道に降り桑實寺裏に出る。センサーにより参内者を知らせる警笛が鳴り響き、いと興ざめの感をおぼゆる。受付で入山料(三百円)を払い寺町から上がる石段を見下ろす。半月前なら紅葉がきれいだっただろう。本堂前で遅い中食。(※参照)いよいよこれから長い石段上りがはじまる。
ここはじつにきつかった。下ってくる十数人のハイカーとことばを返すがとてもえらく腰をおろしたら立ち上がれなくなるかもと。
やがて緩やかな道となるといきなり石垣の城跡があらわれる。日本山城の最大級を誇った観音寺城跡で応仁のころより六角氏が城主となり信長に滅ぼされるまでつづいたとある。埋もれかけた山城なためかその大きさがわからない。素通りし観音正寺へ、途中に繖山三角点(
0.4
キロ)への登り口がある。寺の境内に入りしなにまたもや告示版、ここも入山料が要。よって境内に入らず三角点をめざす。
- 近江風土記の丘から繖山(きぬがさやま)そして北向観音へ -
※『
桑實寺
は天智天皇の勅願寺院として、白鳳六年に創建されました。定恵和尚により開山、和尚が中国より桑の実の木を持ち帰り此の地において日本で最初に養蚕技術を広められたことより寺名がついた。山号の繖山も、蚕が口から糸を散らしマユを縣けることにちなんだものです。・・・入母屋造り檜皮葺の本堂は、戦国時代にも全く戦火に関係なく、南北朝時代に建立されたままの姿です。※定恵和尚は藤原鎌足の長男。』
-桑實寺パンフより抜書き-
幼な子を三人連れた若い奥さんが降りてきた。お昼より五個荘から上がり観音正寺へゆくと笑ってみえた。この先丁寧な案内板が随所に立ち並び秋から春まで恰好なハイキングコースだろう。
繖山山頂は狭い頂でまばらな立ち木に囲まれ展望も良い。北への稜線が初冬の午後の陽を浴びていた。安土山が西下に、東に美濃から江越国境の山々が絨毯のように波打っている。
地獄越えという恐ろしい名の鞍部には小さな祠に赤布を垂らした石仏が鎮座し、旅人の安全を願っているようでした。ここから石馬寺への道もついている。階段状の道はなおもつづき、次いで雨宮竜神社、干ばつの際お参りする八大竜王を祀る小さな神社をあとに、さらに石馬寺へ下る石段の道を右にしずんずん歩ませる。真新しい丸太階段の道がこれでもかと下っている。
北向岩屋観音
に着いた時分、夕日が近江のまちを紅く照らしていた。猪子山公園に下り
JR
能登川駅までもうひと頑張りです。
午前の
安土山
へもどります。
- 12月15日/ 2019年
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