安土山 - まぼろしの天主を想像して戦国無比の城を上る -

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- 天正七年(1579)安土城天主完成、信長が自らの菩提寺としたハ見寺がある -

1安土山(左)と繖山
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- この礎石のうえに高さ33mの木造高層建築が立ったそうな -

2安土城天主


電車
< 交通アクセス >
(往)JR名古屋駅 →(1時間50分) 安土駅
運 賃
1980円

  <コ−スタイム > 歩行時間:1時間30分
shoseJR安土駅→(15分)活津彦根(イクツヒコネ)神社→(15分)大手道・受付→(30分)天主跡(標高198m)→(15分)仁王門→(15分)受付
 焼失した城で最も惜しいと思われる城は織田信長が築いた安土城にとどめを刺すでしょう。明智光秀が謀反なければ信長の天下布武を象徴したこの城は我々の目に映したかもしれない。
 もっとも天主(この地では天守でなく)や本丸の焼失の原因は今もって不明とのこと。本能寺の変以前の落雷説も有り。安土城の一番な特質は城としての防御よりも政治的な思わくでの築城であり信長が住居としてこの高層城で生活したことでも異彩をはなっている。戦国の世、同じ長浜の山城、小谷城と比べてその意趣は違う。それ以降の城づくりの範となったのも肯かれる。
 JR安土駅まえの信長の銅像肩右後ろに安土山がみえる。まず信長が安土城を築くにあたり参詣寄進した活津彦根神社へ歩む。立派な社殿をあとに安土山へ。安土山と繖山の両山が向き合っている。小川にかけられた百々橋さきに安土城址の彫石と石段が上がっているが今はここから入山できません。昔のハ見寺の山門口とみえる。
 右へ回って桜並木の道から郭の虎口(くるわのこぐち)を左に大手道へ進む。入口に受付がある。そう入城料がいるのである。以前は必要なかったらしいですが、発掘とともに整備もあっていささか高額な料金(七百円)が徴される。
 石段をあがり前田利家邸跡、羽柴秀吉邸跡ハ、ハ見寺借本堂(徳川家康邸跡)とつづきくねった高い石段を上がってゆくと左に信長公本廟(変一年後、羽柴秀吉が遺品を埋葬して法要を行った)、右へゆくと広い本丸に出てさらに天主へと登りつめる。

- 安土城跡に上って・・ - 


麓の文芸セミナリヨに寄れば安土城と家臣の屋敷、城下町の様子がシアター状に再現したのが見られます。ユーチューブでもショート版が観れます。
 『石垣に囲まれ東西、南北それぞれ約28mの台地。1.2m置きに並んだ礎石の上にそびえただろう五層七階の天主は、イエスズ会の宣教師ルイス・フロイスによればヨーロッパにもあるとは思えないほど壮大であった』と小パンフの文言から。今の天主からも、東の伊吹山から西へ琵琶湖対岸の比良山地へと眺められる。
 午後から繖山(きぬがさやま)をまわる当方は昼を知らす音楽を聴し、一抹の夢想から醒めて天主を辞する。
 帰路は織田信忠邸跡から裏門跡、ハ見寺本堂跡、本瓦葺きの三重塔へ。近江八幡市の西の湖を前に近江八幡市の小高い山々を望む展望地、そして金剛力士像が安置された仁王門(国指定重要文化財)をくぐり大手道に戻る。駆け足でもゆうに一時間はかかる。
 そして受付前の駐車場から近江風土記の丘へむかいます。

- 12月15日/ 2019年
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