わが町-歴史.1

岩倉の歴史のお勉強をします。

岳に源を発する木曽川によってつくられた犬山扇状地のしっぽが岩倉です。そして西の長良川や揖斐川のそれと相まってつくられたのが濃尾平野です。
町の海抜は北が約12m、北東が約8mと4mの高低があります。 砂や石が堆積している犬山あたりと違い、この扇状地のおわりあたりはよく肥えた水田に適した土地となっています。

史跡公園倉にも古代を偲ばせる遺跡群が発掘されています。その代表的なものが「大地遺跡」(県指定文化財)です。この遺跡から発掘された1つの広口壷は、縄目模様が特徴の縄文式と、焼き上げ技術が発達した弥生式との特徴がみえ、昭和26年、東京国立博物館に展示されたりして、考古学的にも大きな意義があるものとされています。
竪穴住居現在は、名古屋市博物館(瑞穂区)に展示されています。
平成8年に史跡公園として整備され、市の新しい旧跡の1つになっています。竪穴住居も復元され、中を見学することができます。

神社Mapのほぼ中央部にある新溝神社にはかって古墳がありました。ここの本殿は付近より2.5mほど高いところに位置しており、本殿内に古墳に使われた大石が残っています、古墳の上に神社をつくったとは、昔のひとのおおらかさに脱帽です。
余談ですが、「岩倉」の地名のいわれの1つに、神聖な場所に大きな石を集めたところからその名がついたとされることから、案外この新溝神社が古代人の集まりの地だったのかもしれません。
古今東西、古代分化は海辺から平地へ、川沿いに開けたことからも、犬山から岩倉あたりは五条川とは切っても切れない関係だったのでしょう。

内には、下、中、上市場と名のついた町があります。昔から商業や人の行き交いが多かったことがうかがわれ、また新溝神社の門前町としても古くから栄えてきました。
まちには、小さなものを数えると五十を越す神社、寺が点在していますが、各市場には『新講神社』『神明大一社』『神明生田神社』がそれぞれあり、毎年旧6月16日の祇園祭りには3町内から1輌ずつの山車(やま)が出て町内を練り歩きます。
もっとも今は、春、秋のまちの行事ごとに蔵から引き出され、祭りに花を添える存在になっています。

新講神社神明大一社神明生田

「祇園祭」は京都の八坂神社の祭礼のことだが、山車を出す祭りとして模倣したためつけられたと思われます。


2001/3/8

参考文献:「わたしたちの町 岩倉」 昭和40年編纂者 岩倉町教育委員会

岩倉市役所ホームページ
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